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「ロバと王女」1970年フランス製作

この映画、コテコテと見るか、スタイリッシュと見るか。
おフランス特有のエスプリ(なにそれ、おいしい?)を効かせたおとぎ話が意外にも直球勝負であなたを襲う。

原作シャルル・ペローの「ロバの皮」
お妃を亡くした王様が自分の娘に求婚を迫り、娘は仙女の知恵を借りて無理難題を父王に出したあげく、ロバの皮を被って逃亡。
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ある王子に自分を発見させるよう仕組んで、めでたしめでたしという、おとぎ話です。

なーんだ、おとぎ話かー、などと油断してはいけません。何しろ製作者はフランス人です。
このシーンだけで、一目瞭然。


天真爛漫に極彩色、わざとチープに手の込んだ美術を駆使し、
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大人の都合を父王と仙女にふりかけ、ミュージカル仕立てにして、(仙女が「親子で結婚してはいけません」と歌うのが妙にツボ )
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アンニュイな恋のテーマが絶えず変奏曲のように流れ、トドメはおとぎ話そのものが持つ力にぐいぐい引き込まれるかと思えば、唐無稽な現代文明の産物インサート↓に開いた口がふさがらない。
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やってくれます、フランス人。

撮影当時、27歳のカトリーヌ・ドヌーヴが美しい。
美しいが、恋も知らない年頃の王女にしては大人の美しさだ。
だが、その違和感など、なんのその。ロバの頭付き毛皮を被って走る、その走り方はまさに王族の走り方。庶民のように踵を土につけません。つま先から着地するのです(実はバレエの歩き方・走り方がそうです。)

それはともかく、ドレス、すごいわっ!
父王を困らせるために仙女の入知恵で作らせた空のドレス(なんと青空に雲が走る動画ドレス)
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月のドレス
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太陽のドレス
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父王も負けていない変な衣装と変な玉座
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ああっ、デジタルリマスター版で観ると、クラクラしますことよ、奥さんっ!

監督ジャック・ドゥミ、撮影が楽しかったでしょう。楽しくて仕方なかったでしょう。遊び心満載だもの。
ワタクシのような庶民には到底思いつかない豪華ドレスでお菓子を作る王女のシーン。


凄すぎるッ、フランス人!

ここまで来たら諦めて(何を?)、この世界にどっぷり浸るしかありません。降参です(何に?)。

王子との「うふふっ私をつかまえて~」「アハハッ待てよ、この~」を経て
(この時の歌詞がまた率直!
『禁じられたことをしましょう。二人でお酒を飲んで、隠れてタバコを吸って、お菓子をむさぼりましょう。
 たくさん子供を作りましょう。二人で生きましょう。』 まさに人生の喜びを謳歌するフランス人ッ!)
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ラストのハッピーエンドまで
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甘くて仕方のないケーキを戴くように堪能するに限ります。
ほら、もう、あなたの頭には「ラ・ム~ル♪ラ・ム~ル♪」のメロディしか聞こえなくなっているでしょう。合掌。


今回のプラスワン

20年ほど前に「本当は恐ろしいグリム童話」とその類本が山のように出た時期がありました。
ワタクシの子供時代は約40年より向こう側ですから、不適切な表現に配慮したモノの方が少なかったのは事実で、
「はだしのゲン」を震えながらもしっかり読めたものでした。
そんな時代ですから、当然残酷なままの童話本・昔話本が残っていたわけです。

シンデレラの継母達が鳩に目を潰されたとか、焼ける鉄板の上で踊らされたとか、
結婚を許してもらうために広大な田んぼの田植を一人でやってのけた娘が日の入りとともに倒れて死ぬ話とか、
残酷と悲惨がまかり通る世界。

それは子供のうちに、若いうちに、何が正道で何が非道なのかを知る手立てでありました。
人の内に慈悲と残酷が、同等に宿り得ることを知る手立てでありました。
世の中に理不尽と幸運が入り乱れるさまを知る手立てでありました。

そんなのは成長してから知ればよいと?
駄目です。
お年寄りになると体力が落ちて知るには遅すぎるし、ショックも大きい。
だから早いうちに耳から目からでも入れておきなさい、ということです。

この映画の父王、
派手な色彩に隠れがちですが、近親相姦も辞さないという面構えしているのが怖いですね。

グリム童話の「千匹皮」のように娘と結婚する結末もあったのでは?
赤ずきんちゃんも本来はオオカミに喰われておしまい、なのです。合掌。

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(元記事は2013年8月26日に書かれました・エントリー726)

「血とバラ」1960年フランス・イタリア合作

一応、吸血鬼映画なので恐怖映画枠に入れようかと思案しましたが、どーみても恐怖映画ではありません

むしろ時を越えた恋物語という印象。

だってねぇ…時代は第2次世界大戦後、立派に大型旅客用飛行機が飛んでるシーンから始まるのですよ。
現代風ゴシックと位置づけるにしても、けだるい映像とけだるい展開はそれほどゴシックでない。
むしろ耽美です
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血まみれシーンを期待してはならない。かわりに幻想的なモノクロシーンが楽しい。

原題「Et mourir de plaisir」あるいは「Blood and Roses」(英語吹き替え用のタイトルかな?)

ローマ郊外の城に婚約中のカップルが居る。
カーンシュタイン家の若い当主レオポルド↓と美しいジョアンナ↓(黒髪の女)。
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婚約記念パーティに花火を打ち上げるため花火師が呼ばれている。
彼が提案したのは墓地の上の丘一帯を光で染めるというものだった。

その墓地に関しては古い伝説があった。
レオポルドの従妹、カミーラ↓や招待した医師達を交えて伝説を語り合う。
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それによると、カーンシュタイン家は吸血一族で、1759年に血を吸われるのに反抗した農民達により、
墓で眠っていたところを一網打尽にされて、吸血を廃業したというものだ。
ただ一人、ミラーカという女だけが難を逃れたという。
ミラーカの肖像画があるが、カミーラは肖像画の主と瓜二つなのだ。

この辺はちょっと不気味ムードが漂って、「いよいよ女吸血鬼の登場か?」と期待したら肩すかしです。

で、いきなり婚約パーティ。
仮装した人々のカオス空間になっています。例の花火が打ちあがり、皆さん大喜び!
ところが、
戦争中にドイツ軍が埋めた地雷が爆発、花火より派手なことになってしまいます。
そのころカミーラはレオポルドへの想いが募り、やけになったのか、肖像画ミラーカと同じ白いドレスを着る↓と、
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あら不思議。
彼女は爆発で封印が解かれたミラーカの棺まで導かれていきます。
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これが実に不思議な絵で、まだ小規模な爆発や花火の噴出中の墓地を白いドレスの女が歩いて行くのです。
監督ロジェ・ヴァディム、
頭のネジが何本か抜けているように思えてなりません(褒め言葉)。

そうして霊魂がどうのこうのモノローグが続いてる最中にミラーカはカミーラの魂を乗っ取ったわけです。
吸血シーンも血の一滴もありません。これが監督の美学なのでしょう。

カミーラの行動がおかしくなり、城の奉公人達は吸血鬼伝説を思い出します。
その中の美少女(女吸血鬼が欲しくなるような可憐さです!)が転落死状態で見つかると、
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マジで吸血鬼の仕業と決めつけて、
10歳くらいの仲良し少女達↓(これがまたかわいい!)はニンニクを首に巻きつける始末。
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さてカミーラになったミラーカは何を狙っているかというと、やっぱりレオポルド。
そのために、今度はジョアンナに乗り移らねばならない。
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ジョアンナの唇に一滴ついた血を接吻で吸い取るなど、
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うっとりな耽美なシーンが続きます。

そして、けだるい展開の中で、いきなり登場するジョアンナの夢のモノクロシーン。
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これは悪夢に近いのに、たいへん美しい。
特に窓の外が水面になっていて、死んだ美少女が誘うようにジョアンナを呼ぶ。
長い廊下に並ぶ女達はこれまでミラーカが手に掛けた女なのか。
最後に現れるトンデモな手術台の上の女。
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それはカミーラの死を暗示している。
そのとおりに、カミーラは墓地に彷徨い出て、爆弾処理の爆発に巻き込まれ、柵の杭に胸を刺して絶命するのだが、
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これまた監督の美学が発揮されて、ちっとも怖くもグロテスクでもない。ひたすら美しい。

そして新婚旅行(?)に出たらしいレオポルドとジョアンナなのだが…、彼女の魂はミラーカであるようだ。
その演出はバラの花が瞬く間に枯れて色褪せるシーンに暗示されている。

これほど血の流れない吸血鬼映画も珍しいだろう。
そして、これほど美しい吸血鬼映画も珍しい。

ワタクシは時々思うのデス。
もしもロジェ・ヴァディムが萩尾望都の「ポーの一族」を映画化していたら…、と。
おそらく展開はもたつくものの、どこを切り取っても「耽美」としかいいようのない映像を撮ること間違いないでしょう。

そんな妄想に浸りながら、けだるいフィルムを楽しむのが、ワタクシの夏のストレス解消なのです。


今回のプラスワン

「吸血処女イレーナ 鮮血のエクスタシー」の監督といい、
本作のロジェ・ヴァディムといい、
欧州には「緩く、けだるく、美しく」まとめて「お耽美」をモットーにしているタイプの監督群があるに違いない。

その最高峰がイタリアのルキノ・ヴィスコンティと思えるのだが、
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彼の場合はお貴族さまゆえか、「退廃、華麗、美しく」であり、たんなる耽美でないところがヴィスコンティ。
しかし、
ヴァディム、大作を撮るわけでもなく、ひたすらキッチュな「バーバレラ」を遺したように
自らの美学を通したのも、さすがと言いたい。
つーか、
美女をとっかえひっかえ自分の映画の主役にして、妻にして、恋人にして、プレイボーイの名を馳せたヴァディムの生涯があっぱれなのだ。

自分の世界に正直に生きたところは、スティーブ・ジョブズと張り合えそうな気がする…。



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(元記事は2013年8月24日に書かれました・エントリー725)

「AKIRA」1988年日本アニメ

乾いた映画だ。


日本の湿気た空気はどこへ行ったのか。強いて言うなら下水がそれだ。汚い汚い汚濁の水路。
あるいは春木屋の地下へ降りる階段にホンの少し。

あとはどこまでも乾いている。
潤いのなさ。
都市も人も渇いている。水に映る夜景の都市さえ、ただの光にすぎない。
渇ききっている。
飢えにも似た感じで、登場人物は全員がほぼ尖がっており、何かと戦っている。

金田たち「健康優良不良少年」の群れは、社会のつまはじき者として、つまはじき者同士でバイクレースを繰り広げ、
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アーミーは抵抗勢力と、
ラボの研究者は常識と、それぞれの立場で戦っている。
そこに潤いはない。
ネオ東京&旧市街はコンクリートの塊。破壊されるのを待っているかのようだ。

バイクのテールランプが尾を引く描写に目を見張りつつ、無慈悲な物語は進む。
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人を人として扱わない物語。
どこかの国のようじゃないか。どこかの国民の心象のようじゃないか。
1980年代に大友克洋はすでにそう感じていたに違いない。
醜いものは醜いままに。
美しくないものは美しくないままに。
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そう描くしかない。
それは絶望に似ている。
そうでなければ、現実しか見てはならないと、大友克洋の刃が突きつけられるかのようだ。

超能力開発のために薬漬けにされた3人の実験体。
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子供の体格のまま、
老人の皮膚となり、
老人の達観を身につけた。
その仲間入りをするはずだった鉄雄は
ずば抜けた超能力者として覚醒するが、
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そのパワーは破壊の方向に向けられる。

自分でコントロール出来なくなったパワーはガールフレンドのカオリを殺す。
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鉄雄の兄貴分だった金田は鉄雄を止めようとするが…。
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圧倒的な渇きと破壊の映像を前にすると、言葉が出ない。
わずかに金田と鉄雄の切れそうで切れないつながりが救いなのか、無常なのか。
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誰にも、どこにも、感情移入できないまま、観た。

社会人になっていた学生時代の友人達と連れだって観に行った。
誰もが黙りこくって
劇場をあとにした。
衝撃以外の何物でもなかった。
下手に口を開くと台無しになるような気がした。
それくらい咀嚼に時間と体力が必要だったのだ。

あの頃、「AKIRA」はオタクの教養であり、通過儀礼だったのかもしれない。
劇場で芸能山城組の大音響に身を浸し、
めくるめく映像に哲学を見出す試練を経て、
ジャパニメーションの黎明に立ち会ったのを矜持としたのか。

ちなみに、まったくオタク資質のないワタクシの妹は婚約者と一緒に観に行って
帰りに黒ビールを飲んで
具合が悪くなったらしい。
薦めたワタクシが間違っていた。

許せ、妹よ!


今回のプラスワン


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この画像は、映画の冒頭、春木屋に置いてあるジュークボックス。
金田がこれをいじっているところに
山形が来て、
抗争相手のチームを叩きのめしに行くシーンに続く。

CDが並んでいるあたり、ちょうど音楽媒体の変わり目だったと思い出す。
ラジカセに代わって
CDラジカセが売り出され、
レコードにない臨場感を売りにしたCDの音が話題になっていた。

妹が給料を貯めて、
大きなCDラジカセとクラシック名演集20枚セットを買ったのには驚いた。
Victor RC-X750だったような…。

「AKIRA」のサントラ、芸能山城組のBGMはCDで発売された。
それを買って妹のCDラジカセでカセットテープに移し、
カーステレオでよく聞いた。
ワタクシ自身のCDプレーヤーは結婚するまで持たなかったのだ。


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(元記事は2013年8月21日に書かれました・エントリー724)

「ブルガサリ」1985年北朝鮮製作

なんと製作総指揮者が金正日という、筋金入りのファンタジック映画であります。
なぜこの映画を知ったのか、定かではありません。
順序としては、中島らも→混沌系オッサン集団→根本敬「ディープ・コリア」だったのか、
オタク(特に特撮系)路線から入った情報だったのか、今となっては謎です。

さて、予備知識はプルガサリとは怪獣の名前であること。それだけで鑑賞開始。
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ふたを開けると、歴史映画ではありませんか。
衣装からすると高麗時代かな…、例によって悪政に苦しむ農民の反乱があり、悪政の元締めは中国皇帝のようです。
だって!最終的に破壊されまくっているのは、どう見ても北京の紫禁城っぽいんだもの。
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紫禁城でロケさせてくれたのかな。こればかりは製作総指揮者の御威光!
すごいなぁ、世界中探しても、紫禁城が怪獣にやられる映画はないのでは。

ワンシーンが、突っ込みたくなる1秒前で素早く切られてしまいます。
ブチッ!ブチブチブチッ!
何でしょう、この微妙なリズム感。必要最小限のセリフとセットで十分条件を満たしてOK!
フィルムの繋ぎに至っては、特撮部分↓と
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ドラマ部分↓の
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色調が違っていても「ケンチャナヨー(気にしない、大丈夫)」で押し通したとしか思えない荒技!

ところが、この力押しな作りがなんとも楽しいというか、癖になるというか。
プルガサリの誕生からして素朴でファンタジックなのです。
ヒロインの鍛冶屋の娘アミ↓(緑と赤の服の美女)。
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父親の鍛冶屋さんは「農具や鍋釜を溶かして武器を作れ」という政府の命令に逆らって獄死します。
死ぬ直前に彼が残したのがプルガサリの人形です。プルガサリとは鉄を食べる怪物(妖怪?)で、
この手の平サイズの人形がアミの裁縫箱に収まっている姿はなんとも可愛らしい。
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ところが、アミが針で指をついて出た血がプルガサリにかかると、それは命を宿し、鉄をバリバリを喰うのでありました。
そして巨大化。子供サイズ↓哲学者のような顔してます。
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人間サイズ↓
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怪獣サイズ↓
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おりしもアミの恋人が農民反乱の首領になり、プルガサリも反乱軍の味方になって大活躍です。
で、政府軍も対ブルガサリ作戦(火責め、巫女による祈祷責め、大砲責め)を決行するものの
プルガサリとは本来「殺せないもの」の意味だけに作戦はことごとく失敗。
中国皇帝を倒して、バンザイ!
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かと思ったら、さにあらず。プルガサリはあらゆる鉄製品を食べつくす勢いです。
アミは「このままでは世界が滅びる」と大胆な結論を出し、死に装束に身を包むと、お寺の鐘ごと自分をプルガサリに食べさせ、「殺せないもの」を消滅させるのです。

見事な昔話的完結です。

それにしても、悪の政府軍と農民反乱軍の戦いに動員されたエキストラの本気度がすごい。
「俺達、芝居してます!全力で!!」
このエキストラ達、朝鮮人民軍の兵士のみなさん…らしいです。撮影現場に製作総指揮者がいたら、そりゃ「全力」ですよね。そのせいかどうか分かりませんが、人の演技も怪獣もやたら迫力だけは凄いです。
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暑苦しい熱帯夜が続く日々、暑さを忘れさせてくれる「プルガサリ」の強引さに、しばし酔ってみてはいかがでしょう。
例にもれず、突っ込みどころは満載です。
DVDはサブタイトルがついて、「プルガサリ 伝説の大怪獣」になっています。


今回のプラスワン

なぜか小学4年生の夏は怪獣図鑑を見つづけて終わったような記憶があります。

「帰ってきたウルトラマン」にすっかりハマってしまったワタクシ。
女だてらに怪獣図鑑を脇にはさんで、親戚に行く時も、用事で出かける時も、とにかくどこまでも持ち歩くほどでした。
お気に入りの怪獣はツインテール。
理由はよく分かりません。たぶんグドンに食べられるシーンが美味しそうだったのでしょう。
夏の夕陽を見ては、グドンとツインテールがビル群ぶっ壊した更地で向かい合うシーンを思い出したものです。

ところが小学5年では大河ドラマの影響か、戦国時代に夢中になり、
小学6年の夏には「ベルサイユのばら」に鞍替えし、懸命にフランス革命関連本を読んでは難しさに撃沈していました。
ワタクシの無邪気な子供時代は小学4年と5年の間に終わったと思われます。ただ、どっちの方向に爆走するか分からない予測不可能な性質は変わらず、本能と嗜好のアンテナが向くまま、「ベルばら」の次は「アストロ球団」に惚れてしまったのです。
どうしてこうなったし・・・。
人生のところどころで「男に産まれたらよかったのに」とか、「男気性」とか、言われるのには、すっかり慣れました・・・。

(元記事は2013年8月1日に書かれました・エントリー723)

「風の丘を越えて 西便制」1993年韓国製作

うっふん。
またしてもマイナー映画の登場です。
数回に一度は観たことも聞いたこともないような映画をホイッとあげてしまうのは悪癖か、それとも遊び心か。

それはどうでもいいとして、「西便制」をなんと読めばいいのやら。
答えは「ソピョンジェ」です。
韓国の伝統芸能パンソリの流派の一つですね。
で、「パンソリ」ってなんですか。
答えは歌劇です。
歌い手は一人、伴奏の太鼓も一人。
いわば二人だけで物語を歌いあげる芸能です。
19世紀には大人気だったパンソリも
20世紀になると他の娯楽に押されてしまうという、どこの国にもある伝統芸能の衰退期に入ります。

これはそんな時期のパンソリ芸能者の一家族の物語。
例によって、哀しくも凄味のある映画です。

父親=パンソリにかけては妥協のない姿勢を貫く男
子供・姉=養女で、歌い手として才能を磨く
子供・弟=姉と血のつながらない養子で、太鼓の腕を磨く
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つまり3人とも血のつながらない家族です。
それは今でもよくあることですが、彼らが拠り所にしているパンソリの人気は落ちる一方、貧しい放浪生活、見通しのない将来、耐えきれなくなった弟は父と姉を捨てて出奔してしまう。
(廃屋で練習する父と姉↓)
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分かる、それは分かる。
美しい自然をバックに延々と旅するシーンの寂しさときたら、もう泣きたくなるくらい寂しい。心細い。
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韓国映画の巨匠・林 權澤(イム・グォンテク)の重厚な映像が迫るように美しくも、どこか寂しい。
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唯一といってもいい幸福の明るいシーンは旅の田舎道の上にあって、歌い出す父につられて、姉が歌う。
興の乗った二人のために弟も太鼓を取り出して伴奏する。歌は珍島アリラン。
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彼らが画面から消えたあとにふっと風が吹いて砂が舞うのが、なんとも哀しいのですが。
さて、弟が去った後、父親がまたすごい。姉を薬で失明させてしまいます。理由は「声に深みがないから」。
そして修行のために雪深い山に籠ってひたすら歌わせる。
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娘のために麓の村で鶏を盗めば、鶏の持ち主が罵倒しに来て、さんざん足蹴にされても
父親は「あの声を聴いたか!腹の底から出ているぞ!」と感心する始末です。
これには参りました。芸のためなら、その身を捨てるのか、親父。

一方、弟は落ち着いた暮らしをしているものの、父と姉への呵責から、二人を探し出します。
すでに父は亡くなり、姉は失明したまま、歌を歌い続けていました。
再会するものの、弟と名乗れないまま、二人はパンソリを始めます。
一方は歌い、一方は太鼓を叩き、合いの手を入れます。
そのシーンの静かな凄味…。

ラストシーンはたいへん壮絶です。雪の川沿いの道を、赤い服の子供に先導されて姉が歩いて行きます。
流れているのは、やはりパンソリですが、地の底を這うような、それはそれは深い情念のこもった歌声。
カメラはどこまでも歩く姉の姿を追い、やがて彼方に消えるまで追います。
まるで冥界へと続く彼女の芸能の道が、そこにありました。
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静かなのに壮絶さがにじむ光景でした。

これを見ることは、私にはもう出来ません。切なすぎて、号泣間違いないからです。


今回のプラスワン

まだ淡路鳴門自動車道の明石海峡大橋が完成する前に、わざわざ神戸のハーバーランドの映画館まで観に行きました。
パンソリが聴きたかったからです。
12歳の時、偶然TVで聴いて、衝撃を受けたからです。

映画の中で、父親が娘のために鶏を盗んできて、サムゲタン↓を作って食べさるシーンがあります。
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彼は娘に、鍋の丸ごと煮込んだ鶏の脚をもいでやります。
これに「ええーーーっ!信じられへん!」と驚いていたのは、一つ前の列にいた20代半ばの女性二人連れ。
一方、「ふふふっ、そうだよねえ、そうだよねえ。」と、うなずいていたのは、
少し前の列にいた50代女性のグループ。
彼女達はおそらく在日のオモニ(お母さん)だったのでしょう。
たいへん懐かしそうにその場面を見ているので、「子供の頃、こうやって食べさせてもらったのかな。」と思いました。

12歳から残っていたパンソリの衝撃は、このあと一年間、ワタクシに「最初の感動に騙される」という
これまた衝撃的な経験をもたらしました。

その結果、ワタクシはどんなに感動しても、それを冷静に観察しているもう一人の自分を育てました。
そのおかげで多少たくましくなった…かも。

(元記事は2013年7月26日に書かれました・エントリー722)

「アラビアのロレンス」1962年イギリス製作

文句なしにおもしろい。映画としてたいへんおもしろい。


冒頭に問題提起されるロレンスの謎めいた人物像、その評価は多様だ。
映画の中のロレンスは映画の中のロレンスでしかない。
人物像を100人に訊けば、100とおりの見方で答えが返ってくる。
その共通項を拾い上げたとして、それで完璧な評伝が完成するとは限らない。
むしろ共通項の裏にこそ、その人物の物語が潜んでいるようにも思える。

「アラビアのロレンス」はイギリス人から見た中東世界で、まぎれもなくイギリス流儀の美しい映画で製作当時の政治的プロパガンダも含まれている。それを頭の隅っこに置いていても、やはりおもしろい。

「砂漠は清潔だ。」実在のトーマス・エドワード・ロレンスがそう言ったのか、どうかは知らない。
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しかし、この映画のロレンスはいかにも言いそうだ。
イギリス陸軍情報部カイロ支部の軍人でアラビア語と現地の習俗に通じている。
その価値観は、イギリス人のもの、考古学者として体得したもの、両方が混じっている感じだ。
また生来のエキセントリックさを隠そうとしない。
彼とイギリス軍人のやりとりがたまにずれているが、アラビア人とはそうでもない。
始めのうちは…。

ともあれ第一次大戦中のアラビアで、ロレンスの活躍が始まる。
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カイロから道案内人を頼りに砂漠を横断し、サウジアラビア西部、紅海ぞいのヤンブーで、
オスマン帝国の対抗するハーシム家のファイサル(後のシリア国王)と共闘。
オスマンの支配下の港湾都市アカバを内陸から電撃攻撃する作戦を立て、ネフド砂漠を越えて作戦を成功させる。
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こうして、イギリスとアラブの橋渡しをやってのけ、彼自身、アラブ人のための聖戦という大義を掲げるが、
やがてそれは戦争の現実の前で挫折する運命にあった。
こうした中にあって、ピーター・オトゥールの青い目は常に澄んでいる。
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それはまるで、美しくカメラに収められた砂漠の風景と対を成すかのようだ。
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公開当時は4時間、完全版でも200分を越える大作なのに、ぐいぐいと引っ張っていく映像の力がある。
複雑な歴史の一幕に入り込むように。

ほとんど女性の登場がないかわりに個性的な脇役が楽しめる。
たとえばオマー・シャリフ(ハリト族シャリフのアリ)
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アレック・ギネス(ハーシム家のファイサル王子)
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アンソニー・クイン(ハウェイタット族のアウダ・アブ・タイ)
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そして、惜しくも砂地獄で落命する少年とか信管暴発で落命する少年とか
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やっぱり若い男はいいわねぇ(こらこらっ!!)

老後に暇があったら、ゆっくりと見返したい映画の一つです。

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今回のプラスワン

ワタクシは砂漠では
おそらく半日でノイローゼになるタイプ(日本国内でも岩山・禿山を見ると恐怖を感じる)で
決して行きません。鳥取砂丘で十分です。

砂漠…昼間50℃近くなったかと思えば、夜明け前には氷点下。
無理です。絶対に無理。
わりと探検記が好きで、スウェン・ヘディンや河口慧海、ナンセン、リビングストンなど近代を中心に読みましたが、
過酷な状況にはたびたび手に汗握ったものでした。
砂漠や乾燥地帯が舞台の映画では「この人達、スタミナ抜群だわ…」
半ば羨望に満ちた目で見てしまうのでした…。

ここ10年の日本の夏も過酷ですが…(長い夏にすでにうんざり気味です)

(元記事は2013年7月24日に書かれました。エントリー・721)
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