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「アデルの恋の物語」1975年フランス製作

最近は恋に恋するお年頃も低年齢化しているのだろうか。
恋に恋するくらいなら可愛いものだが、「アデルの恋の物語」は恋に魂を捧げてしまった女の物語だ。

アデル・ユーゴー。19世紀フランスの詩人・作家・思想家にして政治家ヴィクトル・ユーゴーの末子として生まれる。
女ながら父譲りの気質と才能の片鱗を持ちあわせ、
なおかつ、偉大な父の影と家族の不遇の影響を浴びて育ったアデルが家出したところから物語は始まる。

大西洋を越えて、イギリス領カナダのハリファクスに上陸したアデル。
その目はすでに何かに憑りつかれた色を帯びている。
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ミス・ルーリーと名乗り、探偵興信所にイギリス人士官ピンソンの女性関係を調べるように依頼したり、
書店で紙を買う時にはピンソンの評判を訊いたり、
下宿の主人にピンソンへの手紙を渡すよう頼んだり、何かとピンソンを気にしている。

それもそのはず。彼はアデルにとって初めての男であり、結婚を前提にした恋人だった。
が、
ピンソンは放蕩者で借金まみれの女たらしで、父ユーゴーは軽蔑していた。
しかし、アデルは彼との結婚を望んでいる、というより、結婚に頑なな執着をみせているのだ。それはなぜか。

アデルを演じる当時18~9歳のイザベル・アジャーニの存在感がはんぱない。
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この映画をまるごとイザベル・アジャーニ色に染め上げた。
若々しい輪郭と眼が恋の狂気を漂わせて、恐ろしさより、さらに哀れさよりも、
アデルが透明な自己の内界に感電し果てる姿を強烈に現している。

彼女の恋は、確かにピンソンを対象としていたが、ピンソンに拒絶されてからも失恋することなく、
むしろ違う恋へと移っていく。
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絶望的であればあるほど、恋は恋そのものを対象にして、やがてピンソンを通り越してしまう。
つまりアデルはピンソンがいなくても、恋を続け、恋のためにだけ生きられるという狂人になってしまうのだ。

物語の筋だけ見れば、完璧にストーカー女である。
売春婦と戯れるピンソンを盗み見し、彼にすげなくされても金銭を貢いだり、
士官宿舎に忍び込んで彼の士官服に手紙を入れたり、男装して士官のパーティに紛れこんだり、
売春婦を彼の部屋に贈ったり、果てはピンソンの婚約相手の家に妊婦に扮して乗り込み破談にしたり、
インチキ催眠術師に頼もうとしたり、所持金がなくなっても彼の居る町から離れられずに彷徨する。

この映画がただのストーカー女の物語でないのは、
彼女が「私の宗教は恋」と言い切るまでの過程を彼女の日記を綴る姿で丁寧に追っているおかげだ。
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日記を書きながら彼女は自分の言葉に呑まれていく。
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さながら彼女が13歳の時に水死した姉レオポルディーヌ(当時19歳で新婚で夫も共に水死)のように。

そこには痛々しくも恋を魂の深みに置いて仕舞い込む姿があり、
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その結果が人の世では、身の破滅という無残であることも示される。
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自己の恋の世界に旅立ってしまったアデルは熱帯のサルバドル島で恋するピンソンを目の前にして通り過ぎる。
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彼女の恋はもう彼を必要としないどころか、誰をも必要としない。
ただ肉体だけが抜け殻のように、あてどもなくさまよっている。

映画は彼女が現地の女によってフランスに連れ帰され、亡命先からパリに戻った父と再会したのち、
精神病院で家族の誰よりも長生きし、暗号化した日記を書き続けて第一次大戦中に亡くなったことを告げて終わる。

ラストシーンはガーンジー島でのアデルだ。
家出前に書いた日記の一文、「若い娘が古い世界を捨てて新しい世界に旅立つのだ。恋人に会うために。」
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確かに彼女は旅立った。人の世を捨て、自分の恋を魂に焼き付けた世界に。

中学生のときに、わざわざ映画館で見た理由はもう分からない。
こういう恋もあるのを知るために、映画に手招きされたのかもしれない。


今回のプラスワン

フランスの首都パリにはヴィクトル・ユーゴー通り(Avenue Victor-Hugo)という長い大通りがある。
有名なシャルル・ド・ゴール広場の凱旋門から南西へ約1.8㎞ほど伸びる、
パリ16区の高級住宅街の並木付きの瀟洒な通りだ。
車道はそれほど広くない。
1881年2月に命名されている。ユーゴーは1885年に亡くなっているので生前に大通りに自分の名をつけられたことになる。
いかに人気があったか、偉大な影響を残したか、という証明みたいなものか。

なにしろ彼のお葬式は国葬だったのだから、古くはナポレオン級、今でいうなら大統領級だ。
凱旋門に一晩安置されたユーゴーの棺↓
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そんな彼も、長男は夭折、次兄が自分の妻に恋して精神を病み自殺、長女は新婚の相手と共に19歳で水死、次女アデルは発狂、妻は不倫(ユーゴー自身も愛人が多数いて、とりわけ女優ジュリエット・ドルエは生涯を彼を支えて生きた)

これを薄幸と片づけるべきか、作家の肥やしになったと見るべきか。
ユーゴーも自分で「波乱万丈だった」と言っているから、後者ではないかと思える。

パリには歴史上の人物、政治家・文化人、あるいは日付そのものを冠した通り&広場&建築物が山のようにある。
文学関係だけでも、
エミール・ゾラ通り(Avenue Émile Zola)、
アレクサンドル・デュマ通り(Rue Alexandre Dumas)、
モンテーニュ大通り (Avenue Montaigne)、
バルザック通り(Rue Balzac)
ヴォルテール通り (Quai Voltaire)
ディドロ大通り (Boulevard Diderot)
フランソワ=モーリアック通り (Quai François-Mauriac)
サンテグジュペリ通り (Quai Saint-Exupéry)
ステファヌ・マラルメ大通り (Avenue Stéphane-Mallarmé)

ちなみに、道りにも種類があって
ブールヴァールBoulevard=城壁あとを通りにした周回道路。
アヴニューAvenue=並木のある大通り。
リュRue=普通の一般の道。
パサージュ=アーケード街・横町。
アンパス=行き止まり・袋小路。
ケQuai=河岸通り。

「レ・ミゼラブル」はたいへんな大河小説で、読んだけど内容はほとんど忘れてしまった…。
すみません、ユーゴー。

(元記事は2013年10月19日に書かれました・エントリー731)
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