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「絹の叫び」1996年フランス製作

日本では超マイナー映画です。
それをわざわざ取り上げたのは、たいへん印象深かったからです。
10年以上も前に一度観たきり。


amazonにあるDVDには副題がついてますね、「絹の叫び/フェティシズムの愛撫」
ちっ、要らぬことを。
確かにフェティシズム要素はあるけど、それが焦点ではありません。

「自分のフェティシズムを理解されたい女」と「それを理解したい男」の理性・知性・情欲・愛がバランスを求めてせめぎあう。
そこがこの映画の魅力であり、スリリングな恋愛映画と言えるでしょう。
欧州映画に特徴的な地味さ、しかし手堅い脚本と演出。
時にモノクロに近い色彩の中に浮かび上がる鮮やかな布地とその光沢。

舞台は1914年のパリ。
窃盗罪で4度目の刑務所暮らしをしているお針子マリー・パンジャマン。
彼女は絹を盗んでは、それで自慰をし、エクスタシーで気を失ったところを逮捕されてきた。
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検察の精神医(おそらく貴族出身で、民族誌学者でも写真家でもある)ガブリエル・ド・ヴィルメールは貴重な症例として
読み書きできないマリーの話を熱心に、そして誠実に聞いていく。
このやりとりがいい。
二人とも、話の対象が際どいものであり、また、個人にとって重要な問題であるのを十分感じている。
だから興味本位や好奇心でなく、互いの知性を賭けた勝負みたいなムードで話をする。
一線を越えたらおしまいになりそうな緊張感のもと、信頼が築かれていく。

マリーをより理解しようと、
ガブリエルはマリーが魅せられたという鋼青色の絹のスカーフを買い求めさえする。
マリーはガブリエルの鉛筆を失敬したり、
刑務所への送還が決まるや、ガブリエルのスカーフのネーム入りの所を噛み千切って、こっそり持っている。
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この辺で、二人の信頼は愛情へと変わったのかもしれません。
刑務所に戻されるマリーが昏倒したさい、ガブリエルはわざわざ介抱しに駆け寄るのですから。
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100分少しの短めの映画に、布をめぐる官能的なシーンが増えていきます。
第一次世界大戦中、ガブリエルはモロッコへ出兵。
現地で負傷して療養しているときも現地の民族衣装を撮影し続ける。
白い衣装は着衣者の動きで、千差万別の顔を見せる。
それはまるで人と布の戯れ。
ついでに彼は戯れのようにアイシャという少女を束の間の恋人にもするが、
この少女の面立ちはマリーと直接似てはいないものの、
知的な目と立ち振る舞いはどこか共通している。
(現代日本の意識では、ロリコンめ!と言われかねないガブリエルですが、
この映画、純愛を描いているわけではないので。)

一方、マリーは刑務所の中で一生懸命に文字を覚えています。
手の中には、かつてガブリエルの机から失敬した一本の鉛筆と布の切れ端。
さて、除隊したガブリエルはマリーの症例を元に本を出版。タイトルは「絹の叫び」。
本は評判を呼び、
出所していたマリーはつたないながらも、率直な文章で手紙を送ります。
しかし、恥ずかしかったのでしょう、
彼女は手紙を返してほしいとガブリエルの家に現れます。
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マリーは理解される喜びを誇りにし、
ガブリエルの本によって多くの人が自分の苦しみを理解することに感謝していました。
性癖や窃盗罪などは社会と彼女の接点がうまく折り合わないだけであって、
ガブリエルはマリーの知性と細やかな心を受け入れるのです。

服飾に学問的視野を広げたガブリエルにとって
マリーは同志のような存在であり、また愛の対象であり、
布を山積みにした研究室で一夜を過ごすわけですが、そこで必要なのが、鋼青色の絹のスカーフ。
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彼女を理解した彼は、自分ではなく絹が役目を果たすことも受け入れるのです。
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しかし、二人の前に多難が訪れます。一つはガブリエルの白内障。
研究一筋の彼にとって、これは致命的な病気。
失明で絶望した彼は自殺。
もう一つは家名。彼の母親は、世間的道徳律そのままに息子の仕事と死に方を認めない。恥ずべきことだと断罪する。
さらにマリーの窃盗は治らない。5度目の刑務所からでたばかりで彼の死を知る。

そして、思わぬ人物。ガブリエルの秘書、セシル。
彼女はたいへん有能で、読み書きはもちろん、教養を身につけた中年女性。
献身的な仕事ぶりの土台に、彼への愛情があるのは間違いありませんが、
自身の立場をわきまえていて、
ひっそりと恋心を隠しているようです。
が、鋼青色のスカーフで結ばれたマリーの手紙を手にすると思わず震えてしまう複雑さ。
嫉妬、あるいは同情、あるいはマリーへの卑下が入り混じったセシル。
彼女の存在はガブリエルとマリーにとって
なんら邪魔にならない存在なのですが、
ラストシーンで、絹のスカーフを同時に握りしめるマリーとセシル。
この二人の女の間に何が通うのか。
それは観客の想像力にゆだねられたままです。
この時のマリーの衣装がとても美しいですね。

本当にちょっとした短いシーンに、いかようにも解釈できるニュアンスがあって
隠れた佳作だと思います。

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今回のプラスワン

ガブリエルにはモデルがいます。ガエタン・ガティアン・ドゥ・クレランボーです。
クレランボー症候群の名付け親の人です。

それはとこかく、ワタクシの父方の祖母は一年の大半を着物で過ごしていました。
明治生まれで田舎の質実剛健をモットーにし、
野良仕事の時は藍染の着物にモンペというこだわり。
そんな彼女の箪笥は四角く折りたたまれた和装の布ばかりでした。

冬用のネルの腰巻と肌襦袢。あいの季節(春・秋)用の木綿の長襦袢。
夏用の麻とちりめんの単衣。
いずれも上等の品ではないものの、それらを重ねて着ていく祖母の姿を見て育ちました。
母は洋裁が好きで、既製品の服を自分好みに縫い直すほどでした。

いつしか見たことない衣装を見るたびに
その構造・素材・着付け方に関心が行ってしまうようになりました。
その最初が民族衣装でした。
インドのサリーなどは昔から有名でしたから図解など探せばあるのですが、
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たった一つの不満といえば、下着がどのようなものか、ほとんど言及してないことでした。
「ねえねえ、パンティーは?履くの、履かないの?」

言葉にすると、変態チックですね。
しかし、素朴な疑問だったのです。
日本の民族衣装だって、本来はパンティー履かないで着ていたものですから。

そして、素朴な疑問ほどあとに引きずるものかもしれません。
現在、最大の謎となっているのは
全身を布で覆う感じのイスラーム女性の衣装。
あの下に何を着ているのだろうか、と
激しく疑問を抱かずにはいられません。
(シリアに関してだけ、ヤマザキマリさんの「世界の果てでも漫画描き」第2巻で謎が少し解けました。)

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