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「アンナ・パブロワ」1984年ソ連・イギリス合作

20世紀初頭に世界中にバレエを広めた意志と情熱のロシアのバレリーナ、
アンナ・パブロワの熱烈伝記映画。

たいへん美しい映画です。
まず冒頭のロシア、林の中の川を幼いアンナが艀に乗って流れていくシーン。
バラライカの音色とマッチして、やがてロシアを離れるアンナの運命を暗示するシーン。
これが息を飲むほど美しい。そして、哀しい。

ソ連が世界に誇るバレエ団、モスクワのボリショイバレエと
レニングラード(現サンクトペテルブルグ)のレニングラードバレエ団(現マリインスキーバレエ団)が協力しているうえに、
パブロワを演じるガリーナ・ベリャーエワもバレエダンサー出身の俳優ゆえに
バレエシーンはたいへん見応えがあります。

アンナにジゼルの振付けをするプティパ
an1.jpg

そのバレエシーンを彩る音楽が激しい…。
パブロワの代名詞でもあった『瀕死の白鳥』の音楽は、
サン=サーンスの『動物の謝肉祭』の中の『白鳥』です。
これはピアノ伴奏によるチェロ独奏なのに、
この映画ではフルオーケストラ、編曲も激しく大げさ。
ニューヨークでの『白鳥の湖』では2幕の最後に女性コーラスまで入っているので、たいへん劇的。
それがパブロワの情熱を現しているといえるし、何より当時はまだソ連…。
大げさ過ぎるくらいがちょうどいい。

この映画は当時の著名人が惜しみなく現れる。
偉大な振付師・プティパ、天才ダンサー・ヴァツラフ・ニジンスキー、
辣腕興行師・ティアギレフ(彼がプティパを退屈でつまらないと罵倒するくせに「ジゼル」を見て号泣するシーンがある)、
作曲家サン=サーンスにストラヴィンスキー(ストラ、そっくりでびっくり!)、
ドイツ皇帝、
そして『瀕死の白鳥』を創作したミハイル・フォーキン。

さらに衣装が素晴らしい。惜しみなく第一次世界大戦前後のモード全開!
これが目の保養でなくてなんなのだ!
an2.jpg
当時のバレエ衣装も忠実に再現されています。
チュチュはかなり短くなってはいるが、チュールの上に、もっさもっさとサテン・ジョーゼット・オーガンジーが載っていて、
時代を感じます。
バレエ好きにはたまらない映画でしょう。


世界ツアー・メキシコのシーン



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(2008/03/19)
ガリーナ・ベリャーエワ、セルゲイ・シャクーロフ 他

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今回のプラスワン

幼稚園の2年間、すっかり大人になってから10年間、
クラシックバレエを習いました。
子供の時は、あるバレエ団が支部を作るので生徒集めを頼まれた母が妹と私を通わせました。
大人になってからは、母が「その体形でバレエ?」とあざ笑うのを無視して頑張りました。
おかげで体重8㎏を落とし、
いろいろと学ばせていただきました。
やめた今でも大切な友人と思い出が残りました。

日本にバレエを根付かせた3人のパブロワのうち、アンナは1922年(大正11年)に全国8都市で来日公演をし、
西洋舞踏を初めて日本に広く紹介、
のちに日本においてバレエが定着・普及するきっかけを作りました。
残る二人のうち、
エリアナ・パヴロワ(霧島エリ子)はロシア革命から逃れ、大正9年に来日、
昭和2年から鎌倉に日本初のバレエ教室を開いています。
もう一人はオリガ・パヴロワ、別名をオリガ・サファイア(清水みどり)といい、
1936年(昭和11年)に来日、正統派のロシア=ソビエトバレエの理論と技術を日本に導入した最初の人物です。
日劇ダンシングチームのバレエ教師として長く活躍しました。
今ではバレエ人口の増えた日本も、黎明期のこうした恩人あってこそですね。
 
ちなみにアンナ・パヴロワ御本人の踊りがyoutubeにあります。
(1925)

彼女の死後『瀕死の白鳥』は誰も踊ることなく、
マイヤ・プリセツカヤが振付を変えて超人的な腕の動き(これもスゴイ)で踊るまで
封印されていたようです。
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