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ただ今引っ越し中

過去記事を削除し、映画記事をup中です。
ほとんど2013年に書いた記事なので、投稿日を過去に指定していましたが、もう面倒くさいのでやめました。
かわりに文末に(元記事は○年○月○日)と、入れてあります。

連載小説「浮き船ガーランドBlog版」はこちらから。
また、加筆訂正&挿絵有りの「浮き船ガーランド」は「小説家になろう!サイト」から、どうぞよろしくお願いいたします。
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「アデルの恋の物語」1975年フランス製作

最近は恋に恋するお年頃も低年齢化しているのだろうか。
恋に恋するくらいなら可愛いものだが、「アデルの恋の物語」は恋に魂を捧げてしまった女の物語だ。

アデル・ユーゴー。19世紀フランスの詩人・作家・思想家にして政治家ヴィクトル・ユーゴーの末子として生まれる。
女ながら父譲りの気質と才能の片鱗を持ちあわせ、
なおかつ、偉大な父の影と家族の不遇の影響を浴びて育ったアデルが家出したところから物語は始まる。

大西洋を越えて、イギリス領カナダのハリファクスに上陸したアデル。
その目はすでに何かに憑りつかれた色を帯びている。
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ミス・ルーリーと名乗り、探偵興信所にイギリス人士官ピンソンの女性関係を調べるように依頼したり、
書店で紙を買う時にはピンソンの評判を訊いたり、
下宿の主人にピンソンへの手紙を渡すよう頼んだり、何かとピンソンを気にしている。

それもそのはず。彼はアデルにとって初めての男であり、結婚を前提にした恋人だった。
が、
ピンソンは放蕩者で借金まみれの女たらしで、父ユーゴーは軽蔑していた。
しかし、アデルは彼との結婚を望んでいる、というより、結婚に頑なな執着をみせているのだ。それはなぜか。

アデルを演じる当時18~9歳のイザベル・アジャーニの存在感がはんぱない。
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この映画をまるごとイザベル・アジャーニ色に染め上げた。
若々しい輪郭と眼が恋の狂気を漂わせて、恐ろしさより、さらに哀れさよりも、
アデルが透明な自己の内界に感電し果てる姿を強烈に現している。

彼女の恋は、確かにピンソンを対象としていたが、ピンソンに拒絶されてからも失恋することなく、
むしろ違う恋へと移っていく。
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絶望的であればあるほど、恋は恋そのものを対象にして、やがてピンソンを通り越してしまう。
つまりアデルはピンソンがいなくても、恋を続け、恋のためにだけ生きられるという狂人になってしまうのだ。

物語の筋だけ見れば、完璧にストーカー女である。
売春婦と戯れるピンソンを盗み見し、彼にすげなくされても金銭を貢いだり、
士官宿舎に忍び込んで彼の士官服に手紙を入れたり、男装して士官のパーティに紛れこんだり、
売春婦を彼の部屋に贈ったり、果てはピンソンの婚約相手の家に妊婦に扮して乗り込み破談にしたり、
インチキ催眠術師に頼もうとしたり、所持金がなくなっても彼の居る町から離れられずに彷徨する。

この映画がただのストーカー女の物語でないのは、
彼女が「私の宗教は恋」と言い切るまでの過程を彼女の日記を綴る姿で丁寧に追っているおかげだ。
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日記を書きながら彼女は自分の言葉に呑まれていく。
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さながら彼女が13歳の時に水死した姉レオポルディーヌ(当時19歳で新婚で夫も共に水死)のように。

そこには痛々しくも恋を魂の深みに置いて仕舞い込む姿があり、
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その結果が人の世では、身の破滅という無残であることも示される。
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自己の恋の世界に旅立ってしまったアデルは熱帯のサルバドル島で恋するピンソンを目の前にして通り過ぎる。
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彼女の恋はもう彼を必要としないどころか、誰をも必要としない。
ただ肉体だけが抜け殻のように、あてどもなくさまよっている。

映画は彼女が現地の女によってフランスに連れ帰され、亡命先からパリに戻った父と再会したのち、
精神病院で家族の誰よりも長生きし、暗号化した日記を書き続けて第一次大戦中に亡くなったことを告げて終わる。

ラストシーンはガーンジー島でのアデルだ。
家出前に書いた日記の一文、「若い娘が古い世界を捨てて新しい世界に旅立つのだ。恋人に会うために。」
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確かに彼女は旅立った。人の世を捨て、自分の恋を魂に焼き付けた世界に。

中学生のときに、わざわざ映画館で見た理由はもう分からない。
こういう恋もあるのを知るために、映画に手招きされたのかもしれない。


今回のプラスワン

フランスの首都パリにはヴィクトル・ユーゴー通り(Avenue Victor-Hugo)という長い大通りがある。
有名なシャルル・ド・ゴール広場の凱旋門から南西へ約1.8㎞ほど伸びる、
パリ16区の高級住宅街の並木付きの瀟洒な通りだ。
車道はそれほど広くない。
1881年2月に命名されている。ユーゴーは1885年に亡くなっているので生前に大通りに自分の名をつけられたことになる。
いかに人気があったか、偉大な影響を残したか、という証明みたいなものか。

なにしろ彼のお葬式は国葬だったのだから、古くはナポレオン級、今でいうなら大統領級だ。
凱旋門に一晩安置されたユーゴーの棺↓
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そんな彼も、長男は夭折、次兄が自分の妻に恋して精神を病み自殺、長女は新婚の相手と共に19歳で水死、次女アデルは発狂、妻は不倫(ユーゴー自身も愛人が多数いて、とりわけ女優ジュリエット・ドルエは生涯を彼を支えて生きた)

これを薄幸と片づけるべきか、作家の肥やしになったと見るべきか。
ユーゴーも自分で「波乱万丈だった」と言っているから、後者ではないかと思える。

パリには歴史上の人物、政治家・文化人、あるいは日付そのものを冠した通り&広場&建築物が山のようにある。
文学関係だけでも、
エミール・ゾラ通り(Avenue Émile Zola)、
アレクサンドル・デュマ通り(Rue Alexandre Dumas)、
モンテーニュ大通り (Avenue Montaigne)、
バルザック通り(Rue Balzac)
ヴォルテール通り (Quai Voltaire)
ディドロ大通り (Boulevard Diderot)
フランソワ=モーリアック通り (Quai François-Mauriac)
サンテグジュペリ通り (Quai Saint-Exupéry)
ステファヌ・マラルメ大通り (Avenue Stéphane-Mallarmé)

ちなみに、道りにも種類があって
ブールヴァールBoulevard=城壁あとを通りにした周回道路。
アヴニューAvenue=並木のある大通り。
リュRue=普通の一般の道。
パサージュ=アーケード街・横町。
アンパス=行き止まり・袋小路。
ケQuai=河岸通り。

「レ・ミゼラブル」はたいへんな大河小説で、読んだけど内容はほとんど忘れてしまった…。
すみません、ユーゴー。

(元記事は2013年10月19日に書かれました・エントリー731)

「銀河鉄道の夜」1985年日本アニメ

前回の「源氏物語」に引き続き、杉井ギサブロー監督作品「銀河鉄道の夜」について語ろう。
言わずと知れた宮沢賢治の深淵な世界を
漫画家ますむらひろしの原案と猫キャラクターを使って描いた映画だ。
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正直に申し上げて、ワタクシは宮沢賢治の世界が怖い人間でした。
高校生までは「なんて美しい造語を編み出すのだろう」と、詩集を読んでは気に入った語句を拾ったものでしたが、
ある時から恐ろしくなってしまいました。

「引き込まれたら戻ってこれないかも知れない」

賢治を読み進めると、時々足元に真っ黒な穴が現れて、
それを知らずに踏むとあの世にいってしまうような感覚がしたものです。

この映画をレンタルして見れたのは、横に妹(彼女は宮沢賢治大好き乙女でした)が、いたからです。
そして、猫キャラクターでなければ、やはり見られなかったでしょう。

映画はまさに童話の世界のように、外国の挿絵を思わせ、
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ジョバンニの不安や緊張感、
ささやかな強がりが時にはヒリッと、あるいはジワリと伝わってきます。
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それが、妙に目を離せないフィルムになっていて、先に地雷があるのを分かっていながら
進んでしまうような感覚です。
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銀河鉄道が進む音が恐ろしい。
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カンパネルラの「ザネリもずいぶん走ったけど追いつかなかった」「僕、水筒を忘れてきた」あたりのセリフが恐ろしい。
「お母さんは僕を許して下さるだろうか」のセリフが恐ろしい。
彼が語る「本当のしあわせ」が心をえぐる。
此岸と彼岸の間でこれを問われて、ワタクシはとてもつらい。
泣きたくなる。
賢治の言わんとするところはダイレクトに魂を直撃し、丸裸にする感じがして、つらい。

人間は、本来しあわせを求める生き物だ。
しかし「本当の」がつくことで、しあわせの本質を問われても、すぐに答えが出ない。出せるものでもない。
「本当のしあわせ」はカンパネルラも我々もはっきりと分からないものだ。

映画はそれを置いといて、無言のシーンが続く。
北十字が鮮やかに青く輝き、厳かな音楽が流れる。
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此岸と彼岸の間の世界に住まう人、彼らは幽霊なのか、幻影なのか。
ブリオシン海岸も鳥追い男も盲目の技師も、讃美歌306番を教える老婆も、なぜそこにいるのか理由は定かでないが、いるのだ。

銀河鉄道の乗客ではっきりと死者である幼い姉弟とその家庭教師の部分は一番劇的だ。
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タイタニック号の事故をモチーフとしているだけに生々しい一方で
「本当のしあわせ」の正体に触れるシーンだ。

我々は生きているのではない。生かされている。
何のために生かされているか分かった時が「本当のしあわせ」に至る道だと。
それは時に悲しみを生むと分かっていても。

新世界交響楽、サソリの火、南十字と、「本当のしあわせ」に触れた者たちのシーンは穏やかに悲しい。

悲しみに会うことを恐れるのは人間の本能だろうか。
車内に二人きりになったジョバンニとカンパネルラは繰り返し言う。「僕たちはどこまでも一緒に行こう。」
そう言いながら、カンパネルラは逝ってしまうのだ。

目覚めて、カンパネルラに起こった出来事を知ったジョバンニは彼の心を受け取った。
最後に一緒に旅をした「しあわせ」がジョバンニにはあったので、悲しみが訪れても、彼は走ることができた。
この時、初めて猫キャラクターの正面あおりのレイアウトが登場する。
それは驚くほどに力強い構図だった。
 
エンディングに賢治の「春と修羅」の序の一部が朗読される。
「わたくしといふ現象は 假定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です」

そう、青い。ジョバンニは青い猫であり、穏やかな悲しみの色をしてるのだ。




今回のプラスワン

若い時に、妹と見ながら二人して「これ、怖いね」と言ったのは、鳥追い男が叫びながら倒れるシーン
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そいてタイタニックとともに沈んだ家庭教師の独白でした。
そこには、何か、この世で見てはいけないものの気配があったからです。

賢治の世界には、たびたびユーモラスでありながら壮大で透明なイメージが現れて
時には、ワタクシが恐怖を感じる彼岸への入り口が見え隠れしていました。

そんなわけで、数年前まで賢治関連の本を開けなかったのですが、
ある時ネット上で知り合った方が東北へ旅行したおり、宮沢賢治記念館で撮った写真を公開してくださり、
ワタクシの賢治に対するイメージが180度ひっくり返りました。

それは、彼の直筆原稿の写真でした。
「ええええっ!!これは、いわゆる変体少女文字ではッッッ!!」と咄嗟に思うくらい、
すらっ!
くねっ!まるまるっ!ずらずらっ!

「うっわー!賢治の哲学的なんたらかんたらの世界が雪崩をうって崩壊!」

ビジュアルがたいへん重要な役割を果たすと、改めて身に染みた瞬間でした。
おかげさまで、現在、ワタクシの本棚には「春と修羅」が無事に収まっています。

余談ですが、ますむらひろし氏のデビュー作「霧にむせぶ夜」も、
ユーモラスでありながら、そうとう怖い漫画です!

(元記事は2013年10月9日に書かれました ・エントリー279 )

「源氏物語」1987年日本アニメ

世界的にも超有名、世界最古の小説と位置づける人さえいるあの「源氏物語」
プレイボーイで有名な光源氏の青年時代の恋模様をアニメで描いた映画だ。

なんという美しさ
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時代考証を踏まえた上で、
光源氏を「自らの想いのままに行動する自由人」として、結束しない髪、耳にピアス、小さな口に紅をさし、
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女と見間違うほど美しい青年にデザインしたのはアニメならではの手法だろう。
おかげで、彼が「私は何をしても許される身なのです」と言っても、そのようですねぇと納得してしまう。
生身の人間がこれを口にして生々しい厭らしさがあっては、源氏ではないのだ。

杉井ギサブロー監督が狙った長閑な横PAN演出、
CGを駆使した背景美術、
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林静一のキャラクター原案、名倉靖博のキャラクターデザイン、
きぬずれの音、そして細野晴臣の音楽は
今のワタクシにとって癒し以外のなにものでもない。

映画には杉井流の完璧な王朝の美の世界があった。髪の一筋一筋が微妙なニュアンスを持って美しい。
それが抑制の効いた動きとあいまって、徹底的に上品なエロスを醸し出す。

この映画では源氏と六人の女性との恋模様が描かれている。
まず「夕顔」、彼女は逢瀬の最中に亡くなってしまう。
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源氏の亡き母、桐壷にそっくりの「藤壷」
彼女は源氏の父帝の妻の一人ですから、継母ですが、源氏が執拗に迫って身ごもってしまう。
父帝はそれを知ってか知らずか、産まれた男児の後見を源氏に託して逝去。
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後に彼女は髪を切って、仏門に入る。

源氏の正妻「葵の上」。政略結婚だったのか、今一つ夫婦の愛が育たない二人。
六条御息所の生霊に命を脅かされながら源氏の子を産んだことで、やっと夫婦らしくなるも他界。
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↑これは六条御息所が憑依しているので目付きが怖い。

元東宮の妃だった「六条御息所」
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カーリーヘアで情熱的な大人の女として描かれる。
葵の上を生霊となって襲った我が身を怖れ、斎宮になった娘と共に伊勢に去ってしまう。

源氏が「ほかの誰にもどこにも渡したくない」として引き取った「紫の上」
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最初こそ「このロリコンめっ」とあきれるが、紫の姫は藤壷によく似ているだけでなく
芯のしっかりした女に成長していく。

そして「朧月夜の君」こと、弘徽殿の六の姫で、東宮(のちに帝)の妻!
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源氏が大胆なのか、六の姫が大胆なのか
あるいは二人とも大胆なのか。
逢引きを姫の父に見つかっても、源氏はさらりと和歌を詠んで扇を優雅に投げ渡す。
このスキャンダルが帝への反逆罪に問われ、彼はすべてを紫の上に頼んで須磨へ流罪になる。
 
源氏はそれぞれ本気で恋をしている。
遊びではないらしい。
源氏の付き人、惟光↓が「本当が一つだけだと、面倒を産まずに済むのですがね」と皮肉を言っても
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源氏本人は真剣に悩んでいるのがおかしい。

そんな光源氏だが、桜の花びらを幻視するたびに女性との別れが訪れる。
どうやら幼い日に母・桐壷を亡くした思い出と桜の花びらを樹のうろに閉じ込めた行為が
彼の女性に対する原風景を作ったらしい。
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ラスト近くで紫の上と結ばれた源氏は夢か現か、幽体離脱して京の都を俯瞰する。
(ここで彼のおヌードがあるのだが、それだけは美しいとはいえない。半端にマッチョだ。)

さらに彼は巨大な幻影と対峙する。青い太陽(あるいは月か)、そして大きな桜の樹。
やがて彼は舞う。
扇が現れ、烏帽子に衣冠束帯が現れ、源氏は桜と対決するかの如く、堂々と舞う。輝いて消滅する桜。

彼は亡き母への想いを、去って行った女達への想いを、昇華したのだろうか。


今回のプラスワン

高校時代などは「源氏物語」といえば
「非生産性の象徴(最上級貴族で詩歌管弦するのが仕事)マザコン光源氏」というキャラクターが好きになれず
ついでに
「古文のテストで紫式部の比喩・隠喩・遠回しで優雅な古語表現に苦しめられる忌まわしさ」がかさなって
源氏物語を敬遠していたフシはある。

谷崎潤一郎訳「源氏物語」を読んでみたりしたが、ついに琴線に触れずじまいだった。

しかし、人間年を取ると丸くなったのか。
光源氏のキャラクターを「マメ男で、本気のタコ足配線が得意技」
「宮中の権力抗争でスキャンダル起こして、弘徽殿女御にやられちゃったか」などと
芸能界&政界視点で楽しめるようになっていた。

これは夢枕獏原作・岡野玲子の漫画「陰陽師」のおかげかもしれない。
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途中から物凄い勢いで岡野ワールド全開になり
たいへんおもしろいことになった漫画だ。

平安時代&王朝文化は、あまりにも古代で、
文章で読んでも、た易くイメージ出来ない部分が多いのが難点だった。
が、岡野玲子の「陰陽師」はそれを十分補ってくれた。
しかも、彼女の当時の絵はこの映画と通じるかのように、完璧な王朝の美と象徴的な陰陽の世界を持っていた。

偶然にもワタクシの本棚にまだ読んでない「十二単を着た悪魔」がある。
「源氏物語」での悪役、弘徽殿女御を現実的なキャリアウーマンとして書いた小説らしい。
タイトルは、映画「プラダを着た悪魔」から取ったかなと推測して後書きだけ読んだら、そうだった。
母が勝手に置いていって数年放りっぱなしにしている。
この機会にちょっと読んでみようかと思っている最中だ。

(元記事は2013年10月5日に書かれました・エントリー728)

その後、読んでみたが、所詮はそこそこデキる青年がやる気出ました的オチで何かと説教くさい。
弘徽殿の胸のすくような活躍を期待しちゃいけませんでしたね。はい。
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