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「惑星ソラリス」1972年ソヴィエト製作

昨年の夏、孤独な仕事に明け暮れていた私を救ってくれた映画だ。

「惑星ソラリス」、このタイトルは実は日本公開の1977年から知っていた。
しかし、映画館で観ることなく(地方までフィルムがこなかった)、その音楽をラジオで聴いて記憶に刻み付けた。
原作スタニスワフ・レムの『ソラリスの陽のもとに』をハヤカワSF文庫で先に読んでしまった。
それでも主演女優タチアナ・ボンダルチュクとバッハの音楽をいつかこの目でこの耳でと思いながら38年。

映画は裏切らなかった。

「惑星ソラリス」は詩だ。映像の一つ一つが詩の一行だ。冒頭の水の中の水草がすでに詩だ。

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映画全体が長い詩だ。165分。水と追憶と理論と感情がおりなす詩が、延々と続く。
監督タルコフスキーはわざと観る側には退屈な映画にしたと言ったらしいが、
それは映像が詩だから、まあ、そうなるわけだ。
そして詩は哲学的な色彩を帯びてくる。

人間とは何か、何が罪なのか、隠しておきたい過去は許してくれないのか。

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惑星ソラリスの表面を覆う「海」を調査する空中ステーション。
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そこに滞在中の科学者達が次々と変調をきたす。ある者は自殺し、ある者はかたくなに事実を否定する。
一体なにがあったのか。
調査に来た科学者クリスはそこにいないはずの人間を目撃する。10歳くらいの少女に幼児、それらは「お客」と呼ばれていて、科学者一人一人と何らかの関係があるらしいが、彼らは触れてくれるなと言いたげに、「お客」現象を見て見ぬふりだ。
そしてクリスの部屋に自殺した妻ハリーの姿をした「お客」が突然現れる。
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ソラリスの「海」がクリスの前にそれを送り込んだ。彼はそれを小型ロケットに入れて葬り去る。
だが、しかし!
再びハリーはやって来る。それを受け入れてしまうクリス、やがて自分が何者か疑問を抱くハリー。
自我の発生に苦しみ自殺を図るが、人間ではないので生きかえってしまう。
それを演じるタチアナの生々しさはおぞましくも、私を捕えて離さなかった。
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ストーリーはゆっくりと展開するが、詩(映像)の力が圧倒的で、見入ってしまった。
鏡、水、故郷の風景、図書室、絵画、無機質なステーション、未来都市を走る首都高速道路、内省的な目をした人々
中でも私にとって絶大な説得力を持つのが夢に出てくるクリスの母だ。
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母はハリーと折り合いが悪かったが、大地に立ち、息子の疲れた腕を洗い、多くを語らず、ただそこにあるべき存在としてあった。それはハリーと同じ存在である。
ソラリス製のハリーが去り、クリスの心に流れ込んだのは涙を流せない故郷なのではないかと、私は思った。
父は天井から落ちる水を頭から滴らせている。
その家のドアを開けるクリス。

ただし、その家は地球の家ではない。ソラリスの海に出来た島に建つ、故郷そっくりの家なのだ。
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このラストシーンに、私はしばらく言葉を失った。
かなり昔からラストシーンについては知っていたが、実際に見ると、言いようのない感情に襲われた。

彼は置き去りにしていたものをソラリスで取り戻す。
それがクリスにとって幸福か否かはどうでもいい。
彼は向き合おうとしなかった哀しみを、新しいものとして向き合うのだろうと、私に予感させて映画は終わった。

私にも向き合うのをためらう哀しみがあり、心が疲れているときにはなかったことにさえしたいと思い、
許しを求めている。
だから、この映画に、詩に、救われる思いがしたのだろう。


今回のプラスワン

ステーションの図書室で浮遊するクリスとハリー。
バッハのコラール前奏曲「イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ」(BWV 639 )の電子音楽が流れる。
好きなシーンの一つ。



東京・首都高速のシーン。
もちろん未来都市の一部として登場する。
今見ると、たいへん新鮮なのはどうしてでしょうね。


追記・主演女優タチアナ・ボンダルチュクをなぜかナタリア・サワーベリャと書いていたので修正しました。
どうやったらこんな間違いを犯すのか…?
ナタリア・サワーベリャって誰やねん…
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「銀河鉄道の夜」1985年日本アニメ

前回の「源氏物語」に引き続き、杉井ギサブロー監督作品「銀河鉄道の夜」について語ろう。
言わずと知れた宮沢賢治の深淵な世界を
漫画家ますむらひろしの原案と猫キャラクターを使って描いた映画だ。
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正直に申し上げて、ワタクシは宮沢賢治の世界が怖い人間でした。
高校生までは「なんて美しい造語を編み出すのだろう」と、詩集を読んでは気に入った語句を拾ったものでしたが、
ある時から恐ろしくなってしまいました。

「引き込まれたら戻ってこれないかも知れない」

賢治を読み進めると、時々足元に真っ黒な穴が現れて、
それを知らずに踏むとあの世にいってしまうような感覚がしたものです。

この映画をレンタルして見れたのは、横に妹(彼女は宮沢賢治大好き乙女でした)が、いたからです。
そして、猫キャラクターでなければ、やはり見られなかったでしょう。

映画はまさに童話の世界のように、外国の挿絵を思わせ、
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ジョバンニの不安や緊張感、
ささやかな強がりが時にはヒリッと、あるいはジワリと伝わってきます。
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それが、妙に目を離せないフィルムになっていて、先に地雷があるのを分かっていながら
進んでしまうような感覚です。
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銀河鉄道が進む音が恐ろしい。
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カンパネルラの「ザネリもずいぶん走ったけど追いつかなかった」「僕、水筒を忘れてきた」あたりのセリフが恐ろしい。
「お母さんは僕を許して下さるだろうか」のセリフが恐ろしい。
彼が語る「本当のしあわせ」が心をえぐる。
此岸と彼岸の間でこれを問われて、ワタクシはとてもつらい。
泣きたくなる。
賢治の言わんとするところはダイレクトに魂を直撃し、丸裸にする感じがして、つらい。

人間は、本来しあわせを求める生き物だ。
しかし「本当の」がつくことで、しあわせの本質を問われても、すぐに答えが出ない。出せるものでもない。
「本当のしあわせ」はカンパネルラも我々もはっきりと分からないものだ。

映画はそれを置いといて、無言のシーンが続く。
北十字が鮮やかに青く輝き、厳かな音楽が流れる。
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此岸と彼岸の間の世界に住まう人、彼らは幽霊なのか、幻影なのか。
ブリオシン海岸も鳥追い男も盲目の技師も、讃美歌306番を教える老婆も、なぜそこにいるのか理由は定かでないが、いるのだ。

銀河鉄道の乗客ではっきりと死者である幼い姉弟とその家庭教師の部分は一番劇的だ。
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タイタニック号の事故をモチーフとしているだけに生々しい一方で
「本当のしあわせ」の正体に触れるシーンだ。

我々は生きているのではない。生かされている。
何のために生かされているか分かった時が「本当のしあわせ」に至る道だと。
それは時に悲しみを生むと分かっていても。

新世界交響楽、サソリの火、南十字と、「本当のしあわせ」に触れた者たちのシーンは穏やかに悲しい。

悲しみに会うことを恐れるのは人間の本能だろうか。
車内に二人きりになったジョバンニとカンパネルラは繰り返し言う。「僕たちはどこまでも一緒に行こう。」
そう言いながら、カンパネルラは逝ってしまうのだ。

目覚めて、カンパネルラに起こった出来事を知ったジョバンニは彼の心を受け取った。
最後に一緒に旅をした「しあわせ」がジョバンニにはあったので、悲しみが訪れても、彼は走ることができた。
この時、初めて猫キャラクターの正面あおりのレイアウトが登場する。
それは驚くほどに力強い構図だった。
 
エンディングに賢治の「春と修羅」の序の一部が朗読される。
「わたくしといふ現象は 假定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です」

そう、青い。ジョバンニは青い猫であり、穏やかな悲しみの色をしてるのだ。




今回のプラスワン

若い時に、妹と見ながら二人して「これ、怖いね」と言ったのは、鳥追い男が叫びながら倒れるシーン
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そいてタイタニックとともに沈んだ家庭教師の独白でした。
そこには、何か、この世で見てはいけないものの気配があったからです。

賢治の世界には、たびたびユーモラスでありながら壮大で透明なイメージが現れて
時には、ワタクシが恐怖を感じる彼岸への入り口が見え隠れしていました。

そんなわけで、数年前まで賢治関連の本を開けなかったのですが、
ある時ネット上で知り合った方が東北へ旅行したおり、宮沢賢治記念館で撮った写真を公開してくださり、
ワタクシの賢治に対するイメージが180度ひっくり返りました。

それは、彼の直筆原稿の写真でした。
「ええええっ!!これは、いわゆる変体少女文字ではッッッ!!」と咄嗟に思うくらい、
すらっ!
くねっ!まるまるっ!ずらずらっ!

「うっわー!賢治の哲学的なんたらかんたらの世界が雪崩をうって崩壊!」

ビジュアルがたいへん重要な役割を果たすと、改めて身に染みた瞬間でした。
おかげさまで、現在、ワタクシの本棚には「春と修羅」が無事に収まっています。

余談ですが、ますむらひろし氏のデビュー作「霧にむせぶ夜」も、
ユーモラスでありながら、そうとう怖い漫画です!

(元記事は2013年10月9日に書かれました ・エントリー279 )

「ロバと王女」1970年フランス製作

この映画、コテコテと見るか、スタイリッシュと見るか。
おフランス特有のエスプリ(なにそれ、おいしい?)を効かせたおとぎ話が意外にも直球勝負であなたを襲う。

原作シャルル・ペローの「ロバの皮」
お妃を亡くした王様が自分の娘に求婚を迫り、娘は仙女の知恵を借りて無理難題を父王に出したあげく、ロバの皮を被って逃亡。
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ある王子に自分を発見させるよう仕組んで、めでたしめでたしという、おとぎ話です。

なーんだ、おとぎ話かー、などと油断してはいけません。何しろ製作者はフランス人です。
このシーンだけで、一目瞭然。


天真爛漫に極彩色、わざとチープに手の込んだ美術を駆使し、
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大人の都合を父王と仙女にふりかけ、ミュージカル仕立てにして、(仙女が「親子で結婚してはいけません」と歌うのが妙にツボ )
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アンニュイな恋のテーマが絶えず変奏曲のように流れ、トドメはおとぎ話そのものが持つ力にぐいぐい引き込まれるかと思えば、唐無稽な現代文明の産物インサート↓に開いた口がふさがらない。
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やってくれます、フランス人。

撮影当時、27歳のカトリーヌ・ドヌーヴが美しい。
美しいが、恋も知らない年頃の王女にしては大人の美しさだ。
だが、その違和感など、なんのその。ロバの頭付き毛皮を被って走る、その走り方はまさに王族の走り方。庶民のように踵を土につけません。つま先から着地するのです(実はバレエの歩き方・走り方がそうです。)

それはともかく、ドレス、すごいわっ!
父王を困らせるために仙女の入知恵で作らせた空のドレス(なんと青空に雲が走る動画ドレス)
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月のドレス
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太陽のドレス
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父王も負けていない変な衣装と変な玉座
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ああっ、デジタルリマスター版で観ると、クラクラしますことよ、奥さんっ!

監督ジャック・ドゥミ、撮影が楽しかったでしょう。楽しくて仕方なかったでしょう。遊び心満載だもの。
ワタクシのような庶民には到底思いつかない豪華ドレスでお菓子を作る王女のシーン。


凄すぎるッ、フランス人!

ここまで来たら諦めて(何を?)、この世界にどっぷり浸るしかありません。降参です(何に?)。

王子との「うふふっ私をつかまえて~」「アハハッ待てよ、この~」を経て
(この時の歌詞がまた率直!
『禁じられたことをしましょう。二人でお酒を飲んで、隠れてタバコを吸って、お菓子をむさぼりましょう。
 たくさん子供を作りましょう。二人で生きましょう。』 まさに人生の喜びを謳歌するフランス人ッ!)
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ラストのハッピーエンドまで
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甘くて仕方のないケーキを戴くように堪能するに限ります。
ほら、もう、あなたの頭には「ラ・ム~ル♪ラ・ム~ル♪」のメロディしか聞こえなくなっているでしょう。合掌。


今回のプラスワン

20年ほど前に「本当は恐ろしいグリム童話」とその類本が山のように出た時期がありました。
ワタクシの子供時代は約40年より向こう側ですから、不適切な表現に配慮したモノの方が少なかったのは事実で、
「はだしのゲン」を震えながらもしっかり読めたものでした。
そんな時代ですから、当然残酷なままの童話本・昔話本が残っていたわけです。

シンデレラの継母達が鳩に目を潰されたとか、焼ける鉄板の上で踊らされたとか、
結婚を許してもらうために広大な田んぼの田植を一人でやってのけた娘が日の入りとともに倒れて死ぬ話とか、
残酷と悲惨がまかり通る世界。

それは子供のうちに、若いうちに、何が正道で何が非道なのかを知る手立てでありました。
人の内に慈悲と残酷が、同等に宿り得ることを知る手立てでありました。
世の中に理不尽と幸運が入り乱れるさまを知る手立てでありました。

そんなのは成長してから知ればよいと?
駄目です。
お年寄りになると体力が落ちて知るには遅すぎるし、ショックも大きい。
だから早いうちに耳から目からでも入れておきなさい、ということです。

この映画の父王、
派手な色彩に隠れがちですが、近親相姦も辞さないという面構えしているのが怖いですね。

グリム童話の「千匹皮」のように娘と結婚する結末もあったのでは?
赤ずきんちゃんも本来はオオカミに喰われておしまい、なのです。合掌。

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(元記事は2013年8月26日に書かれました・エントリー726)

「AKIRA」1988年日本アニメ

乾いた映画だ。


日本の湿気た空気はどこへ行ったのか。強いて言うなら下水がそれだ。汚い汚い汚濁の水路。
あるいは春木屋の地下へ降りる階段にホンの少し。

あとはどこまでも乾いている。
潤いのなさ。
都市も人も渇いている。水に映る夜景の都市さえ、ただの光にすぎない。
渇ききっている。
飢えにも似た感じで、登場人物は全員がほぼ尖がっており、何かと戦っている。

金田たち「健康優良不良少年」の群れは、社会のつまはじき者として、つまはじき者同士でバイクレースを繰り広げ、
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アーミーは抵抗勢力と、
ラボの研究者は常識と、それぞれの立場で戦っている。
そこに潤いはない。
ネオ東京&旧市街はコンクリートの塊。破壊されるのを待っているかのようだ。

バイクのテールランプが尾を引く描写に目を見張りつつ、無慈悲な物語は進む。
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人を人として扱わない物語。
どこかの国のようじゃないか。どこかの国民の心象のようじゃないか。
1980年代に大友克洋はすでにそう感じていたに違いない。
醜いものは醜いままに。
美しくないものは美しくないままに。
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そう描くしかない。
それは絶望に似ている。
そうでなければ、現実しか見てはならないと、大友克洋の刃が突きつけられるかのようだ。

超能力開発のために薬漬けにされた3人の実験体。
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子供の体格のまま、
老人の皮膚となり、
老人の達観を身につけた。
その仲間入りをするはずだった鉄雄は
ずば抜けた超能力者として覚醒するが、
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そのパワーは破壊の方向に向けられる。

自分でコントロール出来なくなったパワーはガールフレンドのカオリを殺す。
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鉄雄の兄貴分だった金田は鉄雄を止めようとするが…。
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圧倒的な渇きと破壊の映像を前にすると、言葉が出ない。
わずかに金田と鉄雄の切れそうで切れないつながりが救いなのか、無常なのか。
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誰にも、どこにも、感情移入できないまま、観た。

社会人になっていた学生時代の友人達と連れだって観に行った。
誰もが黙りこくって
劇場をあとにした。
衝撃以外の何物でもなかった。
下手に口を開くと台無しになるような気がした。
それくらい咀嚼に時間と体力が必要だったのだ。

あの頃、「AKIRA」はオタクの教養であり、通過儀礼だったのかもしれない。
劇場で芸能山城組の大音響に身を浸し、
めくるめく映像に哲学を見出す試練を経て、
ジャパニメーションの黎明に立ち会ったのを矜持としたのか。

ちなみに、まったくオタク資質のないワタクシの妹は婚約者と一緒に観に行って
帰りに黒ビールを飲んで
具合が悪くなったらしい。
薦めたワタクシが間違っていた。

許せ、妹よ!


今回のプラスワン


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この画像は、映画の冒頭、春木屋に置いてあるジュークボックス。
金田がこれをいじっているところに
山形が来て、
抗争相手のチームを叩きのめしに行くシーンに続く。

CDが並んでいるあたり、ちょうど音楽媒体の変わり目だったと思い出す。
ラジカセに代わって
CDラジカセが売り出され、
レコードにない臨場感を売りにしたCDの音が話題になっていた。

妹が給料を貯めて、
大きなCDラジカセとクラシック名演集20枚セットを買ったのには驚いた。
Victor RC-X750だったような…。

「AKIRA」のサントラ、芸能山城組のBGMはCDで発売された。
それを買って妹のCDラジカセでカセットテープに移し、
カーステレオでよく聞いた。
ワタクシ自身のCDプレーヤーは結婚するまで持たなかったのだ。


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(元記事は2013年8月21日に書かれました・エントリー724)

「ブルガサリ」1985年北朝鮮製作

なんと製作総指揮者が金正日という、筋金入りのファンタジック映画であります。
なぜこの映画を知ったのか、定かではありません。
順序としては、中島らも→混沌系オッサン集団→根本敬「ディープ・コリア」だったのか、
オタク(特に特撮系)路線から入った情報だったのか、今となっては謎です。

さて、予備知識はプルガサリとは怪獣の名前であること。それだけで鑑賞開始。
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ふたを開けると、歴史映画ではありませんか。
衣装からすると高麗時代かな…、例によって悪政に苦しむ農民の反乱があり、悪政の元締めは中国皇帝のようです。
だって!最終的に破壊されまくっているのは、どう見ても北京の紫禁城っぽいんだもの。
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紫禁城でロケさせてくれたのかな。こればかりは製作総指揮者の御威光!
すごいなぁ、世界中探しても、紫禁城が怪獣にやられる映画はないのでは。

ワンシーンが、突っ込みたくなる1秒前で素早く切られてしまいます。
ブチッ!ブチブチブチッ!
何でしょう、この微妙なリズム感。必要最小限のセリフとセットで十分条件を満たしてOK!
フィルムの繋ぎに至っては、特撮部分↓と
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ドラマ部分↓の
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色調が違っていても「ケンチャナヨー(気にしない、大丈夫)」で押し通したとしか思えない荒技!

ところが、この力押しな作りがなんとも楽しいというか、癖になるというか。
プルガサリの誕生からして素朴でファンタジックなのです。
ヒロインの鍛冶屋の娘アミ↓(緑と赤の服の美女)。
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父親の鍛冶屋さんは「農具や鍋釜を溶かして武器を作れ」という政府の命令に逆らって獄死します。
死ぬ直前に彼が残したのがプルガサリの人形です。プルガサリとは鉄を食べる怪物(妖怪?)で、
この手の平サイズの人形がアミの裁縫箱に収まっている姿はなんとも可愛らしい。
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ところが、アミが針で指をついて出た血がプルガサリにかかると、それは命を宿し、鉄をバリバリを喰うのでありました。
そして巨大化。子供サイズ↓哲学者のような顔してます。
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人間サイズ↓
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怪獣サイズ↓
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おりしもアミの恋人が農民反乱の首領になり、プルガサリも反乱軍の味方になって大活躍です。
で、政府軍も対ブルガサリ作戦(火責め、巫女による祈祷責め、大砲責め)を決行するものの
プルガサリとは本来「殺せないもの」の意味だけに作戦はことごとく失敗。
中国皇帝を倒して、バンザイ!
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かと思ったら、さにあらず。プルガサリはあらゆる鉄製品を食べつくす勢いです。
アミは「このままでは世界が滅びる」と大胆な結論を出し、死に装束に身を包むと、お寺の鐘ごと自分をプルガサリに食べさせ、「殺せないもの」を消滅させるのです。

見事な昔話的完結です。

それにしても、悪の政府軍と農民反乱軍の戦いに動員されたエキストラの本気度がすごい。
「俺達、芝居してます!全力で!!」
このエキストラ達、朝鮮人民軍の兵士のみなさん…らしいです。撮影現場に製作総指揮者がいたら、そりゃ「全力」ですよね。そのせいかどうか分かりませんが、人の演技も怪獣もやたら迫力だけは凄いです。
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暑苦しい熱帯夜が続く日々、暑さを忘れさせてくれる「プルガサリ」の強引さに、しばし酔ってみてはいかがでしょう。
例にもれず、突っ込みどころは満載です。
DVDはサブタイトルがついて、「プルガサリ 伝説の大怪獣」になっています。


今回のプラスワン

なぜか小学4年生の夏は怪獣図鑑を見つづけて終わったような記憶があります。

「帰ってきたウルトラマン」にすっかりハマってしまったワタクシ。
女だてらに怪獣図鑑を脇にはさんで、親戚に行く時も、用事で出かける時も、とにかくどこまでも持ち歩くほどでした。
お気に入りの怪獣はツインテール。
理由はよく分かりません。たぶんグドンに食べられるシーンが美味しそうだったのでしょう。
夏の夕陽を見ては、グドンとツインテールがビル群ぶっ壊した更地で向かい合うシーンを思い出したものです。

ところが小学5年では大河ドラマの影響か、戦国時代に夢中になり、
小学6年の夏には「ベルサイユのばら」に鞍替えし、懸命にフランス革命関連本を読んでは難しさに撃沈していました。
ワタクシの無邪気な子供時代は小学4年と5年の間に終わったと思われます。ただ、どっちの方向に爆走するか分からない予測不可能な性質は変わらず、本能と嗜好のアンテナが向くまま、「ベルばら」の次は「アストロ球団」に惚れてしまったのです。
どうしてこうなったし・・・。
人生のところどころで「男に産まれたらよかったのに」とか、「男気性」とか、言われるのには、すっかり慣れました・・・。

(元記事は2013年8月1日に書かれました・エントリー723)
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